分野紹介
胎盤発生分野
ヒトTS細胞の樹立(Okae et al. Cell Stem Cell 2018)

1998年、田中智先生らによってマウスTS細胞の樹立が初めて報告されました。以降、多くの研究者がマウスTS細胞の培養条件を参考にしてヒトTS細胞の樹立を試みてきましたが、成功しませんでした。

私たちは、ヒト栄養膜細胞の増殖が生体内でどのように制御されているのかを理解するため、ヒト胎盤より単離した栄養膜細胞の遺伝子発現を詳細に解析しました。

その結果、WntおよびEGFシグナルが未分化細胞でのみ活性化されている可能性を突き止めました。この情報をもとに培養条件を検討し、ヒトTS細胞の樹立に世界で初めて成功しました。

 

ヒトTS細胞は、胎盤を構成する合胞体および絨毛外栄養膜細胞へと分化する能力を保持したまま、半永久的に培養することができます。合胞体栄養膜は、胎児と母体の間の栄養やガス交換を担うとともに、ホルモンを産生することによって妊娠の維持に寄与します。絨毛外栄養膜は、子宮内膜へと浸潤してらせん動脈の性質を変化させることで、母体の血流のコントロールに関与するのではないかと考えられています(図1)。

 

 

ヒトTS細胞の遺伝子発現を詳しく調べたところ、この細胞は着床期の栄養膜細胞にもっとも近いことが分かりました。また、ヒトTS細胞を免疫不全マウスの皮下に移植すると、着床期のみにみられる原始合胞体と呼ばれる特殊な細胞が出現し、この細胞が周囲の組織を侵食することを明らかにしました(図2)。さらに、移植後のマウスの血液中には、ヒトの妊娠中にみられるホルモンが大量に含まれていました。すなわち、ヒトTS細胞を用いることでヒトの着床現象を一部再現することに成功しました。

 

 

以上の結果より、ヒトTS細胞は胎盤の発生や着床を研究するうえで優れたモデルになると結論付けました。

 

 

ヒトTS細胞の発生医学研究への応用(Takahashi et al. PNAS 2019, Kobayashi et al. Nature Commun 2022)

ヒトTS細胞の樹立に成功した後、私たちはこの細胞がヒトの疾患研究や初期発生研究に役立つことを報告してきました。この項では、私たちの最近の成果を2つ紹介します。

 

1つ目は、全胞状奇胎の病態形成メカニズムの解析です。

全胞状奇胎は、雄核発生胚(精子由来の核のみを持つ胚)より生じ、栄養膜細胞の異常な増殖を特徴とします。本研究では、全胞状奇胎よりヒトTS細胞を樹立し、その性質を詳細に調べました。

その結果、全胞状奇胎由来のTS細胞は、接触阻害(細胞の密度が高くなると増殖が止まる現象)に対して抵抗性を示すことを見出しました。

さらに、このTS細胞ではp57/KIP2と呼ばれる細胞周期の停止を誘導するタンパク質が発現しておらず、そのために細胞が過増殖となることも明らかにしました(図3)。

 

 

以上より、ヒトTS細胞が疾患研究に有用であることを実証しました。

 

 

2つ目の研究は、ヒトES細胞からTS細胞への分化誘導系の確立です。

私たちは、着床前の内部細胞塊に近いナイーブ型ヒトES細胞と、着床後のエピブラストに近いプライム型ヒトES細胞の比較を行いました。

その結果、前者はTS細胞へと分化できるのに対し、後者はできないことを発見しました。さらに、このような表現型の違いが、霊長類特異的miRNAクラスターであるC19MCのDNAメチル化状態によって説明できることを明らかにしました。

以上の結果は、DNAメチル化によるC19MCの抑制が、胎児系列細胞から胎盤系列細胞への分化を阻止するエピジェネティックな障壁として働くことを示唆しています(図4)。