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分  野分子細胞制御分野
掲載日2016年5月20日
タイトル
バクテリアの集合体に含まれる微細な構造を解明する新しい顕微鏡観察法の開発

Shinya Sugimoto, Ken-ichi Okuda, Reina Miyakawa, Mari Sato, Ken-ichi Arita-Morioka, Akio Chiba, Kunitoshi Yamanaka, Teru Ogura, Yoshimitsu Mizunoe, Chikara Sato.
Imaging of bacterial multicellular behaviour in biofilms in liquid by atmospheric scanning electron microscopy.
Scientific Reports 6:25889 (2016).
doi:10.1038/srep25889

日刊工業新聞

 地球上の微生物の大部分は、“バイオフィルム”と呼ばれる集合体の形で存在するといわれています。固体表面に接着した微生物は、それらが産生し、タンパク質、多糖、DNA、あるいは脂質などから構成される細胞外マトリクスに覆われながら、バイオフィルムを形成します。バイオフィルム中の微生物は、抗生物質や宿主免疫に耐性になるため、バイオフィルムの形成は慢性感染症の原因となります。また、水道や食料加工場などにバイオフィルムが形成されると、食中毒の原因となり得るので衛生的にも好ましくありません。このようなバイオフィルムを根絶させるためには、第一に、バイオフィルムの形成メカニズムを十分に理解して対処しなければなりません。

 

 研究対象を詳しく観察することは科学研究の基本であり、極めて重要です。これまでバイオフィルムの観察には、電子顕微鏡(走査型電子顕微鏡や透過型電子顕微鏡)や光学顕微鏡(共焦点レーザー顕微鏡)などが用いられてきました。しかし、従来の電顕法では、真空で観察するため、乾燥によって試料が変形してしまう可能性が高く、それを防ぐためには手間のかかる前処理が必要でした。一方、共焦点レーザー顕微鏡を含めた光顕観察の場合、溶液中での観察が可能ですが、近年開発された超解像顕微鏡*1といえども分解能が十分ではない場合があります。あるいは技術的な問題で、バイオフィルムの観察には適用できないこともあります。バイオフィルムの形成メカニズムを分子のレベルで詳しく理解するためには、高い分解能で自然な状態のバイオフィルムの構造を観察する新しい手法の確立が必要でした。

 

 今回、東京慈恵会医科大学講師の杉本真也博士らは、当研究所分子細胞制御分野(小椋 光教授)の有田健一博士(現福岡歯科大学助教)ら、産業技術総合研究所バイオメディカル部門構造生理研究グループの佐藤主税博士らと共同で、大気圧走査電子顕微鏡(ASEM: atmospheric scanning electron microscopy: ClairScope)という新しい電子顕微鏡を用いてバクテリア(黄色ブドウ球菌や大腸菌など)が作るバイオフィルムの内部の微細な構造を観察しました。ASEMは上述のような従来の電顕の弱点を克服しており、迅速な試料作製・高分解能観察を可能にしています。電子顕微鏡を上下逆さまにすることで、開放環境の水溶液中の細胞を直接観察できます(図1A)。電子線を透過する窒化シリコン薄膜窓を底に備えた3.5 cm 径の培養皿を特徴とし、この容器中で様々な細胞を培養装置内の通常の実験環境で培養し、そのまま電顕観察することで高い分解能(8 nm)での観察が可能です。本研究では、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌*2臨床分離株をASEM専用の培養皿の中で培養することで、窒化シリコン薄膜の上にバイオフィルムを形成させました(図1B)。重金属(オスミウム酸、酢酸ウラン、クエン酸鉛)でバイオフィルムを染色し、ASEMで観察すると、溶液中では分散していた菌が溶液を除いて乾燥させた後には局所に集まり、バイオフィルムの構造が大きく変形していることが分かりました(図1C、D)。つまり、自然な状態でバイオフィルムを電子顕微鏡観察するには、乾燥させずに溶液中で観察することが極めて重要だということを示しています。また、分厚いバイオフィルムの底面に存在するMRSAの菌体を明確に観察でき、膜小胞*3の存在を明らかにしました(図2A、B)。さらに、プラス荷電ナノゴールド*4を用いることで、バイオフィルムの形成に極めて重要なDNAの線維構造(図2C)や、大腸菌のらせん構造をとった鞭毛を自然な形で観察することも可能でした(図2D)。以上より、ASEMがバイオフィルム内部の微細な構造を生の状態かつ高分解能で観察するのに有効であることが示されました。

 

 本研究で確立したバイオフィルムの観察法によって、バイオフィルムの形成に重要な成分を自然な形ではっきりと観察することが可能になりました。そのため、バイオフィルムの形成メカニズムの理解がさらに深まっていき、新しい感染症治療薬の開発に繋がると期待されます。また、本観察法は黄色ブドウ球菌や大腸菌だけでなく様々な微生物の観察にも適応できるので、バイオフィルムの研究だけにとどまらず、感染症の迅速な診断や様々な分野の研究においても応用できると考えられます。これらの成果は、英国科学雑誌Scientific Reports電子版に2016年5月16日掲載されました。本研究の一部は、当研究所が推進する「発生医学の共同研究拠点」制度に基づく杉本真也講師の採択課題として行われました。

 

 

*1 超解像顕微鏡:
光の分解能の限界(約200 nm)を超える高い分解能での観察を可能にした光学顕微鏡。2014年、米研究者のエリック・ベッチグ氏、独研究機関のステファン・ヘル氏、米スタンフォード大のウィリアム・モーナー氏の3氏が「超解像度の蛍光顕微鏡の開発」でノーベル化学賞を受賞している。

*2 メチシリン耐性黄色ブドウ球菌:
メチシリンという抗菌薬に耐性を示す黄色ブドウ球菌。院内感染を引き起こす主要な薬剤耐性菌の一つであり、医療施設だけでなく、市中での蔓延が世界的にも問題視されている。

*3 膜小胞:
細菌が自分の体を構成する細胞膜の一部を放出することによって形成される微小な球体。その内部には、核酸やタンパク質などが含まれており、菌同士のコミュニケーションや感染する宿主動物への毒素の運搬などに使われる。

*4 プラス荷電ナノゴールド:
直径1.4ナノメートルの微小な金粒子(ナノゴールド)の表面にアミノ基が付加されており、正電荷を帯びている。バクテリアの菌体表面や生体高分子(タンパク質やDNAなど)の負電荷の部分に静電的に結合する。

 

np87

 

図1.ASEMの概略図とバイオフィルムの観察
(A)ASEMの概略図。通常のSEMに比べて電顕の部分が上下逆さまになっている。(B)バクテリアをASEM専用培養皿内で直接培養することで、窒化シリコン薄膜からなる観察窓の表面にバイオフィルムを形成させることができる。様々な染色法(抗体ラベルやレクチンラベルなど)を施すことによって、特異的な分子の観察も可能となる。(C)溶液中でのバイオフィルム。(D)乾燥後のバイオフィルム。スケールは50 μm。

 

np87_2

 

図2.ASEMによるバイオフィルムの観察例
(A)重金属ラベルによるMRSAの観察。矢尻は膜小胞を示す。(B)透過電顕によるMRSAの超薄切片の観察。細胞質成分が膜小胞に取り組まれているように見える。(C)抗体ラベルおよびPCGを用いたカウンター染色によるDNAの観察。矢印はPCGでラベルされたDNAの線維構造、矢尻は抗体に由来する金粒子を示す。(D)PCGラベルによる大腸菌の鞭毛の観察。野生株では鞭毛の自然ならせん構造が観察された。一方、鞭毛の遺伝子欠損株(∆fliC)ではらせん構造が観察されなかった。スケールは1 μm(A、C、D)および100 nm(B)。