K. Etoh, H. Araki, T. Koga, Y. Hino, K. Kuribayashi, S. Hino, and M. Nakao. Citrate metabolism controls the senescent microenvironment via the remodeling of pro-inflammatory enhancers. Cell Rep., 2024 (in press).
ポイント
概要説明
熊本大学発生医学研究所 細胞医学分野の衛藤 貫特任助教、中尾光善教授らは、網羅的な遺伝子解析を用いて、老化細胞による炎症反応を促進する酵素とその阻害効果を初めて発見しました。「ACLY※1」は細胞内でクエン酸からアセチルCoAを合成する代謝酵素で、細胞の活動と遺伝子の働きを調節することが知られています。今回、老化細胞※2においてACLYの量が増加すること、また、老化細胞でACLYを阻害すると炎症性タンパク質の遺伝子の働きが強く抑制されることが分かりました。ACLYによって合成されたアセチルCoAは炎症性タンパク質の遺伝子を活性化するエンハンサー領域※3のヒストンのアセチル化※4に使われ、さらにアセチル化ヒストンに結合するBRD4※5が働くことを明らかにしました。老齢マウスにACLYまたはBRD4に対する阻害薬剤を用いたところ、転写因子STAT1※6を介するインターフェロン経路が抑制されて、慢性炎症が抑制されることを見出しました。
この成果では、老化細胞でACLYが炎症性タンパク質の合成・分泌を促進するメカニズムを明らかにしたことから、細胞老化による慢性炎症の制御法(セノスタティクス※7)の開発につながることが期待されます。
本研究成果は、文部科学省科学研究費補助金、文部科学省共同利用・共同研究システム形成事業「学際領域展開ハブ形成プログラム」、熊本大学発生医学研究所の高深度オミクス医学研究拠点ネットワーク形成事業、株式会社村上農園研究経費の支援を受けて、科学雑誌「セル・リポート(Cell Reports)」オンライン版に米国(ET)時間の令和6年7月22日(日本時間の7月23日)に掲載されました。
研究の内容及び成果
我が国の高齢化は、世界に類を見ないスピードで進展し、今後も延長した平均寿命が続くことから、“健康を維持しながら老いる”健康寿命が重要になっています。身体を構成する多くの細胞は、分裂を繰り返して増えると、やがてその細胞自体の機能は低下して増殖を停止します。これを「細胞老化」とよんで、全身の老化と慢性炎症に関わる重要な要素と考えられています【図1】。細胞老化は、放射線や紫外線などの物理的なストレス、薬剤などの化学的なストレスによってゲノムDNAが損傷を受けると促進されることが知られていますが、老化のメカニズムはまだよく分かっていません。しかも、細胞老化には良い点も悪い点もあります。細胞が「がん化」を始めると、細胞老化が生じてがんの発生を防ぐ役割をしています。他方、細胞老化によって多くの病気(認知症、糖尿病、動脈硬化など)が起こりやすくなります。したがって、細胞老化は適切に制御されることが重要です。
老化細胞は増殖能を失いますが、近年、老化細胞がさまざまな炎症性タンパク質(サイトカイン、ケモカインとよばれます)を分泌して周囲の細胞に働きかけて、慢性的な炎症やがん細胞の増殖を促進することが注目されています。この特徴は細胞老化関連性分泌表現型(SASP)とよばれています。このように、老化細胞はアクティブに働いているので、細胞老化は、身体全体の老化の原因になると考えられるわけです。例えば、老齢マウスの体内には老化細胞が蓄積していきますが、これらを除去すると全身の老化が抑えられて改善するという報告があります。このため、薬剤による「セノリティクス」(老化細胞除去)が注目されています。ところが、体の中で老化細胞は一定の役割を果たしていて、老化細胞が除去されると、その隙間を埋めるように組織の線維化が進んで機能低下するという報告もあるため、世界中でさまざまな研究が進行中にあります。つまり、細胞老化とSASPを制御できれば、全身の老化の進度を調節できる可能性があります【図1】。
本研究グループは、「エピジェネティクス」とよばれる学問の観点から、細胞老化のメカニズムについて研究を進めています。エピジェネティクスは、すべての遺伝子の働き方(ON/OFF)を明らかにする研究分野であり、生命現象や病気の発症、さらに老化にも密接に関わると考えられます。ヒトの設計図に当たるゲノムには、約2万5千個の遺伝子があります。我々はヒト線維芽細胞(すべての組織・器官に存在する細胞種)の老化に関わる因子を幅広くスクリーニングして、複数の因子を同定しました。現在までに、老化細胞では「RBがん抑制タンパク質」によってミトコンドリアの代謝機能が著しく上昇していること(2015年)、「SETD8メチル基転移酵素」および「NSD2メチル基転移酵素」などが細胞老化を防ぐ役割をもつこと(2017年、2020年)を報告しました。
正常な細胞は、何度も分裂して複製した後に増殖を停止します(複製後の細胞老化)。また、がん遺伝子が活性化してがん化が始まると、それを阻止するために老化がおこります(がん遺伝子で誘導される細胞老化)。最新のシークエンサー解析とバイオ情報解析を用いて、すべての遺伝子発現を網羅的に調べる中で、「ACLY」(クエン酸からアセチルCoAを合成する酵素)が増加することを見出しました【図2】。これまで、ACLYはアセチルCoAを用いた細胞代謝やヒストンのアセチル化を通して遺伝子の働きを調節することが報告されています。とりわけ、ゲノムDNAに巻き付く「ヒストン」タンパク質がアセチル化されて、その近傍の遺伝子の働きを促すことが知られています。しかし、ACLYと細胞老化の関連性や標的となる遺伝子群は分かっていません。そこで、線維芽細胞において、ACLYの遺伝子の働きを抑えるノックダウン(RNA干渉法)を行ったところ、細胞老化の途上の細胞および完成した老化細胞で、炎症性タンパク質の遺伝子の働きが選択的に抑制されることが分かりました。つまりSASPが選択的に阻止されました。さらに、ACLYの酵素活性を阻害する薬剤を用いると、同様にSASPと炎症反応が抑制されることを確認しました。つまり、ACLY阻害で細胞老化のSASPが阻止されることが明らかになりました。
次に、老化細胞におけるACLYの役割を詳しく調べた結果、①ACLYが働いてヒストンがアセチル化されると、アセチル化ヒストンに結合するBRD4タンパク質が働いて、炎症性タンパク質の遺伝子の働きが促進されること、②ACLY阻害剤またはBRD4阻害剤を用いて、老齢マウスの炎症反応が抑制できること、③とくに老齢マウス(80週齢)の肝臓や腎臓で、転写因子STAT1を介するインターフェロン経路が抑制されて炎症が抑制されること、が分かりました。老化細胞では、炎症性タンパク質の遺伝子近傍に位置するヒストンがACLY由来のアセチルCoAを用いてアセチル化されているわけです。このため、ACLY阻害剤またはBRD4阻害剤を用いて、慢性炎症を引き起こすSASPが選択的に阻害されること(セノスタティクス)が明らかになりました【図3】。
今回の研究成果は、ACLYが細胞老化のSASPを確立・維持するという発見を契機として、細胞老化の基本メカニズムを明らかにしたものです。細胞老化のしくみ解明や、老化細胞を維持したまま、慢性炎症を引き起こすSASPだけを選択的に制御する手法の開発に役立つと期待できます。
用語解説
※1:ACLY:細胞内でクエン酸からアセチルCoAを合成する代謝酵素で、細胞代謝と遺伝子の働きを調節する。
※2:老化細胞:増殖を持続的に停止した状態の細胞を老化細胞という。体内に蓄積して活発な活動を行うため、細胞死とは異なる。
※3:エンハンサー:ゲノム上の遺伝子の働きを促進するDNA配列。特定の転写因子(DNA結合タンパク質)が結合する。
※4:ヒストンのアセチル化:アセチルCoAを用いてアセチル基転移酵素がヒストンタンパク質を修飾する。近傍の遺伝子の働きを活性化する。
※5:BRD4:アセチル化されたヒストンに結合するタンパク質で、遺伝子の働きを活性化する。
※6:STAT1:細胞がインターフェロンなどの炎症性タンパク質に暴露された場合に働く転写因子。
※7:セノスタティクス:老化細胞は保持して炎症反応を選択的に制御する方法。近年、薬剤によるセノリティクス(老化細胞除去)が注目されるが、老化細胞を除去すると組織の線維化が生じるという報告がある。セノ(老化)+リティクス(分解)、スタティクス(静力学)の造語。
図1
図2
図3