分子細胞制御分野の小椋光教授が2020年3月末日をもって発生研をご退職されます。
医学部附属遺伝医学研究施設(現:発生研)に助手として着任して以来、3度の改組を経て本学で35年間、教育と研究に精励されました。
平成 20 年 10 月から平成 22 年 3 月まで発生医学研究センター(所)長を務め、全国共同利用・共同研究拠点への採択、センターから所への改組に尽力し、研究所の発展に大いに貢献しました。 さらに発生研広報ワーキンググループの責任者として広報活動にも精力的に貢献しました。
特筆すべき功績の一つとして、平成 24 年度に文部科学省の博士課程リーディングプログラムとして採択された「グローカルな健康生命科学パイオニア養成プログラム(HIGO プログラム)」では、プログラムコーディネーター・運営委員会委員長として、プログラム運営を牽引しました。この功績は文部科学省の最終評価でS評価を受けるなど、本学の人材育成に大いに貢献しました。
研究においては、タンパク質の分子・細胞・発生生物・構造学的研究を専門とし、「AAAファミリータンパク質」の研究に力を注ぎ、留学生を含む多くの大学院生の教育指導に尽力されました。
なお4月以降もHIGOプログラムコーディネーターとして残られます。コロナウイルス拡大の状況ため退職セミナーと懇親会を延期せざるを得なかったのは大変残念でありますが、状況が収束したら日をあらためてお知らせ致します。
長年のご貢献に深く感謝いたします。小椋光先生、ありがとうございました。
発生研一同
発生研の皆さん
退職記念セミナーと懇親会が新型コロナウイルスの影響で延期となりましたので、残念ながら、皆様に対面でご挨拶することが困難となりました。この場をお借りして、発生研を去るに当たって、一言ご挨拶させていただきます。
まずは、医学部附属遺伝医学研究施設から今日の発生医学研究所に至るまで約35年間の長きに渡り、大変お世話になりました。昨年夏のリトリートで発生研の歴史を語る機会をいただきましたので、私の記憶している発生研の歴史におけるいくつかのターニングポイントはそこで紹介させていただきましたので、特に繰り返す必要はないかと思います。「センターから所への改組以下、HIGOプログラムコーディネーターまで」は「図らずも」巡り合わせで(リトリートでは「事故で」と申し上げました)私がすることになりましたが、私のイニシアチブは微々たるもので、前任者のご尽力と発生研の皆さんの支えがあってこそ成し遂げられたことであり、改めて深く感謝申しあげます。
広報WG世話人は、私の中では研究活動に次ぐ精力を傾けて色んなことをやらせていただきました。これを、委員会にせずWGとし、WG長ではなく世話人としたのも私のこだわりです。うまくいったことよりもうまくいかなかったことの方が多かったですが、『本九祭』など思い出はたくさんあります。石黒さんが世話人を引き継いでくださいましたので、その点は安心です。広報WG活動から派生して発足した発生研学生会も一時存亡の危機にありましたが、若い准教授の皆さんが学生さんを発生研に引き寄せてくれたことで、息を吹き返したのは大きな喜びです。
AAAファミリータンパク質(分子シャペロンやプロテアーゼ)というライフワークに出会って、その研究領域の勃興期から今日まで約30年間、世界中の研究者と交流や競争をしながら、独自のポジションを確立し、基礎研究としてはそこそこ潤沢な研究費を継続的に獲得でき、ユニークな研究を継続できたことは大変幸せでした。
教育においては、直接指導した大学院生はそれほど多くはありませんが、HIGOプログラムに関わる機会を得て、粂さんからコーディネーターを引き継ぎ、私はただ見守っているだけでしたが、プログラム生とプログラム担当者及び事務職員が危機感をもって一丸となって推進してくれたことが功を奏して、大変アクティブなプログラムとなり、最高評価の[S]評価をいただくことができました。このプログラムでは医学系、薬学系、社文系という文化の違いを知る良い機会になりましたし、このプログラム自体が大きな社会実験だと認識しています。退職後も薬学部にオフィスをいただいて、しばらくコーディネーターを続けることになりました。修了生の皆さんが5年後、10年後にどう社会で活躍しているかを楽しみに見届けたいと思います。
発生研でこれからも研究を続けていく皆さん、研究を取り巻く状況は必ずしも良い方に向かっているとは言えない状況ですが、その中で活路を見出し、独創性の高い研究を世界に向けて発信し続けてください。
発生研20周年の年に定年退職することはこれも巡り合わせとはいえ感慨深いですし、発生研が今後もさらに輝かしい歴史を重ねていくことを心から祈念しています。
長い間、本当にありがとうございました。
小椋 光