Hiroko Sano, Akira Nakamura, Mariko Yamane, Hitoshi Niwa, Takashi Nishimura, Kimi Araki, Kazumasa Takemoto, Kei-ichiro Ishiguro, Hiroki Aoki, Yuzuru Kato, Masayasu Kojima
The polyol pathway is an evolutionarily conserved system for sensing glucose uptake.
PLOS Biology
https://doi.org/10.1371/journal.pbio.3001678
グルコース(ブドウ糖)は動物にとってエネルギー源でありDNAやRNAなどの生体分子の素にもなる重要な栄養素です。我々人間を含む動物は摂食で増える血中のグルコースを感知してグルコースを利用する仕組み(代謝)をうまく調節する必要があります。メタボリック症候群や糖尿病などの代謝疾患は、この調節がうまくいかなくなる病気です。動物がどのように血中のグルコースを感知しているかはまだ良く分かっていません。
今回、久留米大学分子生命科学研究所の佐野浩子講師は、これまで働きが分かっていなかった「ポリオール経路」と呼ばれる代謝経路がグルコース摂取の感知に重要であることを明らかにしました。この発見は久留米大学循環器病研究所、熊本大学発生医学研究所、群馬大学生体調節研究所、国立遺伝学研究所との共同研究の成果です。
研究成果は2022年6月10日、生命科学系学術誌「PLOS Biology」に掲載されました。
1. 研究の背景
動物は摂取したグルコースに合わせて代謝レベルを調節する必要があります。その仕組みの1つが細胞外からのグルコース取り込み量に合わせた細胞内の代謝酵素の発現調節です。細胞内ではMondo/ChREBPと呼ばれる転写調節因子がグルコース存在下で活性化されて核内に移行し、多くの代謝酵素の発現を制御します。しかし、細胞内のMondo/ChREBPが細胞外からのグルコース取り込み量を感知する仕組みについては議論が分かれていました。
グルコースなどの細胞外の栄養素は細胞内に取り込まれて代謝されます。細胞内に取り込まれたグルコースは直ちに解糖系で代謝されるので、解糖系代謝産物の量でグルコース量を感知できそうです。しかし、生命維持に必須のエネルギー産生に直結する解糖系には、グルコース取り込み量によってエネルギー産生が大きく変動しないように、貯蔵糖や代謝産物によるフィードバック制御などの仕組みが備わっています。そのため解糖系の代謝産物量は細胞外からのグルコース取り込み量をあまり反映しないと考えられます。このことから、解糖系以外のグルコース代謝経路がグルコース感知に関与することが予想されますが、そのような代謝経路は見つかっていませんでした。
本研究では「ポリオール経路」と呼ばれるグルコース代謝経路に着目しました。ポリオール経路はグルコースをソルビトールを経てフルクトース(果糖)に変換する代謝経路です。酵母からヒトまでの進化段階にある多くの生物がポリオール経路を持ちます。これを「進化的に保存されている」と言います。何億年もの進化を通じて保存されている経路には生命の根本に関わる重要な役割があると考えられますが、ポリオール経路がどのような役割を担っているのかは分かっていませんでした。
2. 本研究の成果
私たちはショウジョウバエを用いた研究により、ポリオール経路がグルコース摂取に応じてMondo/ChREBPの核への移行や転写活性を制御することを明らかにしました(図1:上段)。このことは、ポリオール経路がグルコース感知システムとして働くことを示しています。一方、飢餓状態ではグルコース感知にポリオール経路は不要であることが明らかになりました。飢餓状態では貯蔵糖が枯渇して緩衝作用が失われると考えられます。このような状況では、解糖系の代謝産物がグルコース取り込み量を反映するようになり、解糖系もグルコース感知システムとして機能する可能性が考えられます。
さらに私たちは、ポリオール経路がマウスにおいてもグルコース感知システムとして働くことを明らかにしました。マウスにおいて摂食したグルコースを代謝する主要な臓器は肝臓ですが、ポリオール経路は肝細胞においてグルコース摂取に応じたMondo/ChREBPの核移行を制御することが明らかになりました(図1:下段)。また、ポリオール経路を欠損したノックアウトマウスでは摂食後の血糖値の回復が遅れること、つまり耐糖能障害が起こることも明らかにしました(図2)。これらの結果から、ショウジョウバエだけでなくマウスでもポリオール経路はグルコース感知システムであり、血糖調節にも関与することが明らかになりました。
ポリオール経路によるグルコース代謝の調節は沸かし器の仕組みに似ています。湯沸かし器は流入する水量と水温を感知してヒーターを調節します(図3:左)。このような制御をフィードフォワード制御と呼びます。フィードフォワード制御では制御対象(湯温)に変化が起こる前に操作内容(ヒーターの強度)を変えることにより、状況変化(水量・水温)の影響を最小限に抑えるという利点があります。ポリオール経路はグルコース変動を感知し先回りして代謝を調節することにより、代謝状態を適切に保つ働きがあると考えられます(図3:右)。
3. 本研究成果の社会的意義と今後の展開
何億年もの進化を超えて保存されているポリオール経路は、グルコース代謝調節という生命の根本的な仕組みに関わることが分かりました。このポリオール経路は現代病である耐糖能障害にも関わるかもしれません。ポリオール経路では最終的にフルクトース(果糖)が生成されます。フルクトースは炭酸飲料などに多く含まれ、その過剰摂取は肥満、脂肪肝、がんの増悪などを引き起こすことが知られています。その仕組みは良く分かっていませんが、本研究の結果から、フルクトースの過剰摂取はグルコース感知の撹乱を引き起こすことが考えられます。本研究の成果からは、糖の過剰摂取や代謝異常による疾患メカニズム解明に向けて新たな視点が得られることが期待されます。
本研究は以下の研究支援事業の支援を受けて行われました。
日本学術振興会科学研究費助成事業 [16H06276 (AdAMS), 17H03686, 17K07419, 19H05743, 20H03265, 20K06647, 21H02489]、熊本大学発生医学研究所共同研究、群馬大学生体調節研究所内分泌・代謝学共同研究拠点共同研究、金原一郎記念医学医療振興財団基礎医学医療研究助成、文部科学省高深度オミクス医学研究拠点ネットワーク形成事業研究助成、文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業